ushikunaomi’s blog

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金箔の色

私はテンペラ画を出発として、作品制作をしている。

もっとも今は、膠溶きの絵の具や日本画の顔料も使っているので自分の作品を「テンペラ画」と呼ばないようにしている。

 

テンペラ画は中世キリスト教絵画によく使われていて、黄金背景と呼ばれる、金箔地の上に聖書に出てくる人物などを描くやり方があるので、金箔地にはなじみがある。

 

日本絵画でも屏風などに、金箔地に描いたものがよく見られる。

 

最近は金箔地の色味をどうとらえればいいのか?ということを考えている。

金箔は金属だから、光を当てれば明るく輝く。光があたらず、陰になったり黒っぽいものが映り込むと黒っぽい色になってみえる。色の幅が広く、強い。

 

たとえば磨き上げた金箔地にトレーシングペーパーなどをあてて、光の反射を抑えてみる。すると、金箔は明るめの黄土色かベージュのように見える。

反射や黒っぽいものの映り込みがなければ、わりと明度の高い色合いである。

 

磨き上げた金箔地に、顔料で金箔と同じくらいの明度の色を乗せていくと、顔料は金箔よりはざらざらしていて粒子が粗いから、暗く感じるのではないか。

 

そのことを日本絵画の屏風絵で感じたことがある。

学生時代にそのことをレポートに書いたのを思い出した。

学生時代のレポートに手を加えつつ、ちょっと書いてみる。

 

その屏風を見たのは、2006年に東京国立博物館で行われた「若冲と江戸絵画展」の最終室だった。

 

この最終室での展示はガラスケースを使わず、作品が直接見られるようになっており、舞台に使われるような照明装置を使い自然光のように朝の光、夕方の光、また夜にろうそくを灯してみたような光を再現しており、刻々と変化する特殊なものを使っていた。

その環境で見る屏風は今までガラスケースの中で見たものとはまったく違うものであった。

私は今まで博物館で見た屏風からは、金箔の地の部分に絵画の中の空間を感じず、むしろ威圧感のようなものを感じ、屏風絵は平面的なものだと考えていた。

 

しかし、この環境で見ると金箔の光沢感から、粒子の粗い顔料で描かれた草木などのざらざら感とそれが金箔より暗いことが、かえって描かれているものをうき立たせ、立ち上がってくるようで、空間を感じ、絵画の中に引き込まれていくようだった。

刻々と移り変わる光によって屏風は違った表情を見せ、人物はまるで動いているように感じられたほどだった。

 

この展示方法はコレクターであるプライス氏の「江戸時代にガラスケースはなかった。日本絵画の鑑賞に光は重要である」という意向によって作られたもので、確かに個人コレクションによる展示だったからこそ成立したものだ。博物館の企画による展示では難しいだろうと思う。

 

はじめから現代の作家が空間構築できる現代アートとは違い、歴史上の作品を博物館・美術館で見るとき、ほとんどの場合、当時の「空間再現」ができない。西洋の教会美術を実際に見たことはほとんどないが、教会で見る黄金背景のテンペラ画はまた違う印象・効果があるだろう。

 

金箔は光(照明)の具合によって様々な表情を見せる。私が空間構築をし、金箔や金の魅力を最大限に活かした展示をしたいと思ったとき、照明も自分で用意しなければいけないのかな、と思っている。実現するかは別として。