雑草という草はない
昭和天皇は、「雑草という草はない」とおっしゃったそうだが、
昔の人は今日、雑草と呼ばれているような草も愛でていたのかもしれない、と気づいたのは、2004年の東京国立近代美術館での「琳派 RIMPA」の展覧会で、川端龍子の「草炎」を見てからだ。
「草炎」は黒い地に(濃紺なのだが、ほとんど黒に見える)金泥で草が描かれている屏風だ。ほとんどが雑草と呼ばれるような草である。
といっても、川端龍子は明治から昭和を生きた人だから、結構最近の人だ。
川端龍子や草炎については、これから調べていきたいと思っている。また、日本の絵巻物に描かれていたり、掛け軸に描かれていた植物はどんなものがあってどんな意味合いがあるのかも調べたい。
雑草の話。
日本の家紋には雑草がもとになっているものがたくさんある、という話をある本で読んだ。どうも日本人は、雑草も園芸植物も農産物も区別なく愛でていたり、意味合いをつけていたみたいだ、と感じる。
そこで手に取ったのが「雑草が教えてくれた日本文化史 したたかな民族性の由来」稲垣栄洋 株式会社エイアンドエフ だ。
すごく面白いなと思いながら読んでいる。
「雑草」という概念は明治時代に日本に導入されたものらしい。
雑草という言葉は、江戸時代にはあまり使われていなかった。使われていても、雑木林と言うときのような、たくさんの草という意味だった。
雑草、をキーワードにして日本文化はどうしてこういう特徴があるのか、を読み解いている。面白いから、興味のある人はぜひ読んでみてください。
美術の分野で言えば、「洋画」と「日本画」は明治以降に出来た言葉だし、現代の美術マーケットは経済的な視点で言えば、完全に欧米が主流だ。展示の習慣についても日本は特殊なところがある、らしい。らしい、というのは、話には聞いてるけど私は欧米で展示したことはないので。
じゃあ、なんでそういう違いができたのか?私は植物をテーマに描いているが、最近は雑草に関心があるので、雑草をキーワードに考えていきたい。そして作品コンセプトに盛り込みたい。
なにより、雑草は造形的に面白いし、力強いエネルギーを感じる。雑草を相手にしているとすごく楽しい。