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どくだみ愛

個展でどくだみの絵を展示したら、様々な反応があった。「なんで、どくだみなんか描くの!?」というものが一番多かった。

バラをきれいに思って、バラを描くのと同じように、どくだみが美しいと思って描いたので、その反応は意外だった。

「どくだみの花、よく見ると可憐できれいよね。」という人が一人いた。それ以外は、なんでどくだみ!?と言われた。

「日陰にびっしり生えるよね。抜くの大変だよね。」「暗いイメージの花」という意見もちらほら。

 

 

今年の初夏、庭の草取りをしているときに、どくだみだけ抜かないで生やしておいた。おとなりさんに、「そんなにたくさんのどくだみ初めて見たわ。抜くの大変でしょ。」と言われた。こちらは愛でていたのだけど。

 

 

ある本を読んでいたら、良い俳句をみつけた。

 

どくだみや 真昼の闇に 白十字    芽舎

 

良い俳句だ。そう、あの濃い緑色で敷き詰められている中に真っ白な小さな花びらが、きわだつ。

花もそうだが、私は葉っぱのフォルムが好きだ。ハートの形に、すこし勢いのついた曲線。

 

次の個展もどくだみの絵を展示しようと思っている。

 

 

 

話し言葉書き言葉打ち言葉

外山滋比古の「人に聞けない大人の言葉づかい」という本が面白くて、ときどき読み返している。「立つか、寝るか」というエッセイでは、縦書きと横書きでの語感の違いについて書いている。もともと日本の文字は縦に書き、読むようにできている、というのである。縦に読む言葉は横線で文字を識別する。

鳥と烏 末と未

などである。わかりやすいのは漢数字。

一二三

である。ヨーロッパの言葉は、

ⅠⅡⅢ

となる。横書きの場合、縦線で区別する。どちらの言葉も合理的にできている。

さらに、同じ日本語で書いても、縦書きと横書きでは語感が違うという。ことばが立っているのと寝ているのとの違いがわからなといいのは心細い、という話だ。

立っているのと寝ているのでも違いがあるくらいである。筆記具を使って紙に書くのと、キーボードでタイピングするのでは、もっと違うだろう。

十代のころ、精神分析に関心があって、パソコンを使ってインターネットで情報を集めていた。その中にマニアックな掲示板があって興味深く読んでいた。そこでは、アメリカで精神分析の訓練を受けたプロの日本人が、日本の一般の人と議論していた。人間に対する謙虚な姿勢と、訓練と経験に裏打ちされた専門性が、書く文章にあらわれていて、読者は感心している人が多かった。(ところで、精神科医精神分析医は違う。一般に精神科医と名乗っている人がみんな精神分析を出来るわけではない。精神分析をするには、医師になるのとはまた違う専門的なトレーニングが必要である。)

そのプロの方が、掲示板に書き込みをするために文章を考えるとき、ノートに筆記具で書いている、と書いていた。ノートに書いたものを掲示板のためにタイピングしているという。仕事上、書く文章もすべてノートにまず、書いているとのことだった。

それを読んでいたく感心した。タイピングというのは、慣れてくると高速で打ち込めるから、頭の中の考えを文字にするが楽だ。書き直しも、推敲も簡単にできる。漢字がわからなくてもかまわない。タイピングに慣れていて、たくさんのことを考えている人は、長文を書くのだって簡単である。

しかし、腹に落ちる感覚とでもいうのだろうか、落ち着いて冷静に考えた感じが薄いと、私は感じている。

だから、ちゃんとした文章を書きたいとき、紙に筆記具で書きたいものだな、と思っていた。それをまさに実践している人に、出会えたからだ。

今から一五年ほど前、携帯電話が普及し始めたころ、電車の中で携帯電話をもって親指を必死に動かし、メールを打っている若者を、親指姫と言って揶揄している新聞記事を読んだ。今のスマートフォンと違って、まだ白黒の画面しかない、ボタンを押して入力していく携帯電話の時代だ。

今はスマートフォンになって、文字入力は、フリック入力になった。パソコンのタイピング、携帯電話のボタン入力、フリック入力、微妙かもしれないが、少しづつ違いはあるかもしれない。

小学校のころ、国語の授業で話し言葉と書き言葉は違う、と習った。この時代、打ち言葉というものもある、と付け加えても良いかもしれない。

そんなことを思い出して、ノートに文章を書き始めた。ちなみに縦書きで。

 

外山滋比古「人に聞けない大人の言葉づかい」中経出版

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